たろうの日々

日々の思ったことや感じたことを綴ります。

将来の夢を具体的な目標にできなかった話

お久しぶりです。
思いっきり三日坊主になっていましたが、これから少しずつのんびり書いていきます。


今日は、将来の夢を具体的な目標にできなかった話をします。


あなたの夢は何ですか?と問われることは多いと思います。
特に学生時代は顕著に感じます。
読んでいただいているあなたは、どんな夢をお持ちですか?
もしかしたらもう叶えたかもしれませんね。


私は幼いころから『絵を描いて生きていきたい』という、なんともふわっとした夢を持っていました。
絵ってどんな絵?油絵?イラスト?版画?
いやいや私は全てに興味があるんだ!なんだったら絵じゃなくて立体でも映像でもなんでもやりたい!
そのように考えていました。
もちろん子供のときならそれでもいいのですが、これが高校3年生の時も続いていたのです。
美術系の高校に行かせてもらえたのに、具体的な目標としてなにも持たずに学生生活を過ごしてしまいました。


ただ、美術方面で生きていきたいという方向性はわかっていました。
例え具体的な目標がなくても、ふわっと「美術やりたいなー」と思っていたら、美大か美術の専門学校に行ってしまうのが吉だと、今の私は思います。
ふわっとしているからこそ、詳しく学び、選べる道を増やしたほうがいいと。


でも高校3年生のたろうはそんなこと考えられませんでした。
「高額な学費を払って高校3年間美術を学ばせてもらったのだから、働かなきゃいけないんじゃないか」
「そもそも美大受けるほどのお金も学力もデッサン力もないし」
「それなら大人になってから美大行けばいいんじゃないか?」


そしてだした結論が、自衛隊入隊でした。
このあたりの話はまた別の機会に書けたらと思います。


このとき、断固反対してくれた恩師の言うことをきき、大学に行っていたらどうなっていただろう。
そう考えることは何度もありました。
ただ、自衛隊に行ったことは私の身になっています。
もしかしたら、この選択は必然だったかもしれません。


学ぶことはいつでも何歳からでもできますが、若いうちに多くを学ぶと将来の選択肢が広がります。
このことを私は大人になってから実感しました。


自衛隊を除隊したあとは、バイト、正社員、ニートを経験し、いまは自分にとって生きやすい仕事をしています。
いまだに絵の道はあきらめきれていません。が、いまは休憩だと思って別の道も模索中です。
3歩進んで2歩さがるくらいの進みですが、死ぬまでには自分の人生の目標をみつけたいと思います。


読んでいただきありがとうございました。
おやすみなさい。

職場の介護と家族の介護

今日は仕事中に思ったことを書きます。


私は掛け持ちで複数のバイトをしているのですが、その中に高齢者の介護施設でのバイトがあります。

 

そこの施設は、介助なしで体が動かせて、かつ会話もできるような方も多いのですが、もちろん介助が必要な方もいらっしゃいます。

 

その中のひとり、Aさんという女性のトイレをお手伝いした時のことです。

普段は穏やかなAさんですが、トイレの時だけ強い拒絶をされました。

Aさんは女性ということもあるし、恥ずかしさや何をされるのか恐怖に感じての拒絶かな?

そう思い、例え叩かれたり蹴られたりしても「Aさんごめんね、恥ずかしいよね」と話しかけたりしていました。

 

介助が終わったあと、もし自分の母親に同じように拒絶されたらどうだろうとふと考えました。

『怒ってしまうかも…』

最初に頭に浮かんだことがこれでした。

 

何故Aさんに対しては怒らなくて、母親に対しては怒るのか。

もちろん、そもそも仕事だからという理由はあります。

ですが、もし仕事だとしても母親に対しては怒ってしまうかもしれない…。


それは、《今までの母親》を知っていて、その延長線上にいるから、《介護が必要な母親》に対して「何で今までと同じようにできないのか」という怒りが生まれるのでは?と思いました。

対してAさんは、私自身がそれまでのAさんを知らないから、Aさんと同じ目線に立って対話でき、怒らずにいられるのかもしれません。

 

では《今までの母親》から《介護が必要な母親》に目線をシフトすればいいのか?

それも1つの方法かもしれませんが、これが絶対の答えではないと思います。

 

《今までの母親》と全く別の人として扱えということか?

 Aさんの今までを知らなくていいのか?

そういう批判や疑問に繋がるかもしれません。私自身もそう思いました。

全くの別人として扱えということでもなく、今までの人生を知らなくてもいいということでもないはずです。


どうしたら相手にとっても自分にとっても良い介護ができるのでしょうか。

今の私には到底わからないので、このバイトはクビにならない限り続けさせていただこうと思います。


読んでいただきありがとうございました。

また思ったことがあれば書いていこうと思います。


『異国日記』を読んで救われた話※少しネタバレ

※異国日記第6巻page30を読んだ感想を含みます

 

みなさんは考えすぎること、それによって苦しむことは悪であると思いますか?

私は幼いころから、それらは悪いことと教わってきました。

母から「もっと楽に考えなさい」と言われてきたので、当たり前に悪いことだと潜在意識にあったのかもしれません。

 

ですがどこかで、考え抜くこと、それによっておこる苦しみは悪ではないのでは?という疑念も生じていたようです。

 

この考えに対するアンサーといえる漫画に出会えました。

ヤマシタトモコ先生の『異国日記』です。

 

【あらすじ】

(前略)

少女小説家の高代槙生(35)は
姉夫婦の葬式で遺児の・朝(15)が
親戚間をたらい回しにされているのを
見過ごせず、勢いで引き取ることにした。

しかし姪を連れ帰ったものの、
翌日には我に返り、持ち前の人見知りが発動。
槙生は、誰かと暮らすのには不向きな
自分の性格を忘れていた……。

対する朝は、人見知りもなく
“大人らしくない大人”・槙生との暮らしを
物珍しくも素直に受け止めていく。

 

pixivコミックより引用

 

対照的な2人の日常が描かれているのですが、彼女達の言葉に何度心を揺さぶられたことか…。

 

特に衝撃を受けたのが第6巻30page、

そんなに考えすぎててしんどくないか、と問う朝に対して槙生が放った言葉。

このシーンはぜひ実際に読んでみてください。

読む人それぞれで違う受け止め方をするのだと思いますが、私は確かにこの言葉で救われました。

 

7巻は来春頃でしょうか。

それまで読み返して待とうと思います。

 

 ↓槙生と朝かきました

f:id:taro_0116:20201129232944p:plain

はじめまして

 

 はじめてブログを書きます。

 自分が日々考えていること、感じたことを誰かに知ってほしくなったので始めました。

 たまに絵も描くので、そちらも見ていただけたら嬉しいです。

 

【自己紹介】

 漫画や小説を読み、たまに絵を描き、最低限の暮らしを続けられる程度の仕事量で生きているフリーターです。

 公務員や会社員、ニートなどを経て、自分が生きやすい仕事にたどり着いたところです。

 

【このブログで書くこと】

・自分が日々考えていること、感じたこと

・自作の絵

・自分の今までとこれからの人生

・その時々で好きなこと

 

 拙いかと思いますが、読んでいただけると嬉しいです。

 よろしくお願い致します。